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昭和20(1945)年6月と7月、姫路は二度にわたって空襲を受けました。7月の姫路空襲で、本校は校舎・施設のすべてを失いました。
終戦後、ゼロから出発した本校は、戦時中に軍用飛行機の格納庫として使われていた倉庫を譲り受け、昭和22年3月に戦災復旧校舎を落成させました。その間、校祖 摺河静男の逝去という悲報に接しましたが、悲しみを乗り越えて復興への道を歩き始めました。
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飛行機の格納庫だった戦災復旧校舎
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授業風景
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戦災復旧校舎の正門 |
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旧校舎でおごそかに行われた学園葬 |
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昭和20年 |
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夜半空襲により校舎・付属建築物・諸施設などすべてを焼失
ポツダム宣言受諾(太平洋戦争終結)
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昭和21年 |
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新生姫路市誕生
兵庫県播磨高等女学校と改称(本科・商業科)
創立者摺河静男逝去
日本国憲法公布(22年5月施行)
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昭和22年 |
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教育基本法および学校教育法公布(6・3・3・4の新学制規程)
戦災復旧校舎落成
兵庫県播磨中学校を併設
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昭和23年 |
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財団法人摺河学園設立。摺河ウメ、理事長に就任
兵庫県播磨高等学校と改称(家庭科・普通科・商業科)
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兵庫県播磨女子商業学校
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昭和20年度 |
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153名 |
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兵庫県播磨高等女学校 |
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昭和21年度 |
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142名 |
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昭和22年度 |
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86名 |
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兵庫県播磨高等学校 |
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昭和23年度 |
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第1回生 |
29名 |
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昭和24年度 |
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第2回生 |
87名 |
昭和25年度 |
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第3回生 |
20名 |
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普通科 |
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・平成13年~23年
・平成元年~12年
・昭和49年~64年
・昭和26年~48年
・昭和20年~25年
・昭和16年~19年
・大正10年~昭和15年
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